2007年11月24日土曜日

親鸞会の報恩講に参詣して

 昔から、報恩講というものがあるのは知ってはいたが、自分から進んで参加しようという気持ちはなかった。
「報恩講 ○○寺 おときあります」
という、墨で書かれた何ともさえない張り紙が、寒くなると貼られているのは覚えている。

 そんな私だったが、先日、浄土真宗親鸞会が催す報恩講に参詣してきた。
 親鸞会の法話に参詣するのは、それが最初ではないのだが、今回もまた、実に多くのことを学ぶことができた。
 
 そもそも、富山県射水市に「親鸞会館」なる「正本堂」があるのだが、これが何とも大きい。
 一宗教団体が持つにしては、大きすぎる。
「2000畳」と言われる広さを持つ大講堂は、最初入った時は腰が抜けるかと思ったぐらい、感動したものだ。説明によれば、東西本願寺の御影堂二つが丸々入ってしまうのだとか。
 劇場用ホールと違い、すべて畳敷きの真一直線なので、参詣者が全員正座をすれば、当然後ろに行けば行くほど講演者の顔など見える筈もない。
 そこで、国連と同じ規模と言う大きな画面があって、一番後ろからでも黒板を見ることができるという親切設計。
 技術的な詳しいことは分からないが、なにしろ「聞くこと」を目的にして設計されていることは、誰が見ても分かるものだ。
 
「仏法は聴聞に極まる」のだという。
 これは蓮如上人の言葉の中にあるのだが、今回の親鸞会の報恩講でも、この「聴聞」について、高森会長は丁寧に講演された。
「聞というは、仏願の生起本末を聞きて、疑心あることなし」
何か変わった知識が得られるという講演ではない、ただひたすら、親鸞聖人の根拠を出して、懇切に説明していく、ただそれだけなのである。
 それなのに、非常に引きつけられる。今の真宗で、これだけの説法ができる教師は、そういないだろうと思う。
 もう年齢も80に近いと言うが、足腰もしっかりされていて、よほど鍛えておられるのだろう。恐れ入る。

 そもそも、私が親鸞会にこのように興味を持ち、聴聞するようになったのは、もう何年も前のことだが、あれから多くのことを学ばせてもらった。
 かなり煩雑になると思うが、今までのこと、そして今のこと、気軽に書き留めていきたいと思っている。

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