親鸞会の機関誌は『顕正新聞』である。
毎月2回発行される。
『顕正』とは、正しいものを顕らかにする、という意味で『顕正』。凄い名前だ。
以前、講師に聞いたことだが、「まだ親鸞聖人の教えを知らない人に、正しい教えを顕らかにするだけではなく、自分自身にも顕らかにしましょう、という意味が込められています」といった説明を受けた。なるほどそうか。
いつも新聞は法話に参加した時に受け取るが、年末となり都合のいい法話がないと、わざわざ担当の人が届けて下さる。
しかも、顕正新聞1月1日号は、きちんと封筒に入れられて、のり付けしてすぐには出せないようになっている。
「1月1日号は、1月1日になってから読ませてもらいましょう」とのこと。
1月1日号は、毎年高森先生の「年頭所感」が掲載されている。年頭なので、やはり前年の年末に読まず、新年を迎えた心で読ませてもらおう、ということだ。
なるほど、しかし、そう聞くとフライングしたくなるのが人間の心というもの。
自分の生活を振り返れば、大晦日も元旦もそう変わらない。年の瀬だからと言って、そんなにのんびりできる環境にはいない。
「新年を迎える」という気持ちは、毎年そんなに感じるものではない。食べるものも、普段とそう変わらないし。
だからこそ、いいじゃないかと思う。
1月1日号を1月1日に拝読して、新たな気持ちを作ることも。
「読む」という行為は、案外、「神聖」なるものなのだ。
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