1月6日、親鸞会では「初聞法会」と言われるご法話が開催された。
私も参詣してきた。
正月というのに、かなりの盛況ぶり。皆さん、聞法熱心であられる。
内容は前回の続き。親鸞聖人の正信偈の
「如来所以興出世
唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海
応信如来如実言」の4行について。
特に最初の2行ついて話されたのだが、阿弥陀仏の本願に救われる前と後ではどう違うのか、煩悩はどうなるのか、ということについてが中心だった。
救いの前後の煩悩については、これも正信偈に親鸞聖人が解説されており、
「已能すい破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無闇」とある。
つまり、真実信心の天を覆うように、救いの前も後も欲や怒りや愚痴の煩悩は変わらない、ということなのだ。
思い出されるのは、とあるお寺さんの法話である。
私利私欲に走らず、いがみ合いをせず、そういった自己の欲望を抑えて念仏する生活が大事なのだと、法話していたのを思い出す。もちろん、西本願寺の話だ。
もともと「救い」を明確に説かないので仕方がないのだろうが、どうも最近、寺の話は煩悩を相当問題にしているように思えてならない。
親鸞聖人750回忌法要で「世の中安穏なれ」のスローガンを掲げているようだが、その解説も同じようなものだった。
親鸞聖人が望まれた「安穏な世の中」というのは、あくまで「仏法がひろまって」の上であって、「煩悩を抑える」ことによるものではないと思うのだが、私のような者がここで何を言っても西本願寺のスローガンがどうにかなる訳でもないし。
「生死の苦海ほとりなし
久しく沈める我らおば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける」
今回の高森先生のご法話の終盤、出された和讃。
私はこのご和讃が大好きだ。
そこには、煩悩を越えた世界がある。
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