2008年1月9日水曜日

譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

 1月6日、親鸞会では「初聞法会」と言われるご法話が開催された。
 私も参詣してきた。
 正月というのに、かなりの盛況ぶり。皆さん、聞法熱心であられる。

 内容は前回の続き。親鸞聖人の正信偈の
「如来所以興出世
 唯説弥陀本願海
 五濁悪時群生海
 応信如来如実言」の4行について。

 特に最初の2行ついて話されたのだが、阿弥陀仏の本願に救われる前と後ではどう違うのか、煩悩はどうなるのか、ということについてが中心だった。

 救いの前後の煩悩については、これも正信偈に親鸞聖人が解説されており、
「已能すい破無明闇
 貪愛瞋憎之雲霧
 常覆真実信心天
 譬如日光覆雲霧
 雲霧之下明無闇」とある。

 つまり、真実信心の天を覆うように、救いの前も後も欲や怒りや愚痴の煩悩は変わらない、ということなのだ。
 
 思い出されるのは、とあるお寺さんの法話である。

 私利私欲に走らず、いがみ合いをせず、そういった自己の欲望を抑えて念仏する生活が大事なのだと、法話していたのを思い出す。もちろん、西本願寺の話だ。
 もともと「救い」を明確に説かないので仕方がないのだろうが、どうも最近、寺の話は煩悩を相当問題にしているように思えてならない。

 親鸞聖人750回忌法要で「世の中安穏なれ」のスローガンを掲げているようだが、その解説も同じようなものだった。
 親鸞聖人が望まれた「安穏な世の中」というのは、あくまで「仏法がひろまって」の上であって、「煩悩を抑える」ことによるものではないと思うのだが、私のような者がここで何を言っても西本願寺のスローガンがどうにかなる訳でもないし。
 
「生死の苦海ほとりなし
 久しく沈める我らおば
 弥陀弘誓の船のみぞ
 乗せて必ず渡しける」

 今回の高森先生のご法話の終盤、出された和讃。
 私はこのご和讃が大好きだ。
 そこには、煩悩を越えた世界がある。

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