2008年1月16日水曜日

世の中安穏なれ 仏法ひろまれ

 前回、親鸞聖人750回忌法要について触れたが、今日はその話題について記しておく。
 というのも、寺から若さんが「750回忌法要の懇志」を集めに来たからだ。

 1軒あたり、5万円だという。結構な額だ。法事を1回勤めてもらう程の額にもなろう。
 今は額が問題ではない。大きな法要を勤めるのだし、親鸞聖人のアニメビデオも制作しているそうだ。アニメについては、親鸞会で見慣れているものだから、さほど新鮮さは感じないのだが。

 門徒として、出さねばならないのなら出す。が、しぶっていると、若さんがこう言った。
「もし懇志を出されなければ、私たち寺の者が、代わって出さなければならないんです。お願いします」
 私はこれを聞いて、すぐにお断りしてしまった。
 いくら何でも、それはないだろう。布施の意味が、違わないかと。


 話を元に戻すが、親鸞聖人750回忌法要のスローガンは「世の中安穏なれ」だ。
 1度聞けば、世界平和でも目指す祈りかとも思う。それはそれで結構なことだと思う。
 このスローガンの元になった親鸞聖人のお言葉が『親鸞聖人御消息』だ。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは、別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。


 これはよく読めば、往生不定の人、つまりまだ真実信心獲得していない人は、まず救われなさいよ。救われて往生一定の人は、世の中安穏なれ、仏法ひろまれと願いなさいよ、という意味ではなかろうか。
 本当ならば、「往生不定の人は、早く往生一定になりなさい」が、本来のスローガンとしては先ではなかろうか。

 結局、葬式の毎に「故人は浄土へ参りました」と必ず言っている寺としては、門徒すべては「往生一定の人」と決めつけてしまって、さあ皆で「世の中安穏なれ」と願いましょう、とでも言いたいのだろうか。
 煙にまかれたような気持ちになる。

 親鸞会では、聞法の目的を、いつも明確に解説する。むろん、信心獲得の為であり、それは「往生一定」の身になる為である。
 寺では、いつも聞法の目的ははっきりしない。
 そんな姿勢が、750回忌のスローガンに出てしまったのではないかと、私は思う。

0 件のコメント: